誰からも慕われていた板長と同じ年になる
2019/10/17
大学入学と同時に、最寄りの駅前で個人経営していた居酒屋でアルバイトを始めました。
そのお店は海鮮がメインで、お店のスタッフが釣ってきた魚を提供することもあります。
そのため、毎日メニューが変わるので、見ているだけで楽しく、
「これは何ていう魚なんですか?」
「どうやって調理するんですか?」
と、板長に質問したり、仕事の合間を縫って、包丁できれいにさばいていく姿をこっそり覗いたりしていました。
「この時期、この魚がよく釣れるんだよ」
「こっちの魚は煮つけよりも刺身で食べたほうが旨いんだよ」
板長は、10歳も離れている私に対し、魚の知識はもちろん、美味しい調理方法までいろんなことを教えてくれました。
2年ほど経つと、ホールでの接客から焼き物の担当となりました。
ただ、こと料理のことになると厳しいことばかりで、少しでも串焼きを焼きすぎてしまえば、「お前、これで美味しいと思えるか?」と叱られたり、盛り付けを間違えて料理を運んでしまったら、「お客さんのところ行って頭下げてこい!」と怒鳴られることもありました。
落ち込んだり、腹を立てることもありましたが、そんな様子を見ると「よし、むらし。今日、終わったら飲みに行くか」と、私のあだ名でよく声をかけてくれたのです。
厳しく指導されることもあれば、浴びるようにお酒を飲んで、閉店したお店で一泊することもある。
20歳そこそこの私に、料理だけでなく、働くことの基礎や人との付き合い方などを一つひとつ教えてくれたのです。
きっと卒業するまで、こんな日が続くんだろうな。
そんなことを思っていた大学4年の夏、突如、その板長が辞めることとなりました。
いずれ自分のお店を持ちたいと語っていた夢の実現に向け、次のステップに進むとのことでした。
絶対にいなくならないだろうと思っていたこともあり、ショックではありましたが、夢に向かっていく姿に微力ながら応援したいという気持ちもありました。
送別会の日。
「じゃあ、最後にバイト最古参のむらしからひと言貰おう!」
歓談の時間も過ぎ、司会から指名を受けて花束をもって前に立ちました。
それまでは、いつも通りただ楽しく飲んで話して過ごしていたのに、いざ、マイクの前に立つと、用意してきた言葉が出てきません。
かわりに涙が溢れてきて、何も言えなくなってしまったのです。
申し訳ないな、と思いつつ板長に目を向けると、板長も涙を浮かべながらこちらを見て、「ありがとう」とひと言告げて抱きしめてくれました。
仕事を始めてからは、板長には会っていませんが、数年前に夢をかなえてお店を出したという話は聞いています。
私も大学を卒業して10年が経ち、仕事に厳しく、人に優しかったあの頃の板長と同じ歳になりました。
板長を見習って、落ち込んでいる後輩がいれば「飲みに行こうか」と声をかけることができるようになりました。
ただ、誰からも慕われていた板長と比べてしまうと、まだまだ未熟かもしれません。
それでも、板長と再会するときには胸を張って会えるように今の仕事に取り組んでいきたいと思います。
日本財託 マーケティング部セールスプロモーション課
村嶋 直樹(むらしまなおき)
◆ スタッフプロフィール ◆
静岡県御殿場市出身の32歳。
セミナーやHP・Facebookの運営、 メールマガジンの執筆などを通じて、東京・中古・ワンルームの魅力を多くのお客様にお伝えしています。
本文で紹介したお店は、神奈川県平塚市にある『運勘根(うんかんこん)』という居酒屋です。
釣りで必要な要素「運よく・勘よく・根気よく」の頭文字を取ってつけたそうです。
とにかく魚介が美味しいので、東京からは少し遠いですが、近くに寄られた際にはぜひ、尋ねてみてください!