真っすぐで優しい私の『ヒーロー』
2021/07/01
お爺様(左)と娘さんを抱っこする柏野さん
私には子供のころから大好きな祖父がいます。
祖父とは高校卒業まで一緒に住んでおり、いつもニコニコしていてお茶目な性格。バレンタインデーの時は毎年沢山のチョコを貰ってくるほど、たくさんの人に愛されていました。
それだけでなく祖父は努力で結果を残す人でもあります。
祖父は若いころ、人脈も資金もないところから裸一貫で和菓子屋を開店させました。
まさに「職人」という感じで、和菓子の道を極めるだけでなく、洋菓子やパンの製法も寝る間を惜しんで研究を重ねていました。その努力が実を結び、和菓子が本業なのにパンの大会で優勝したり、和菓子を組み合わせて金沢城を再現した作品を全国菓子博覧会に出品したり。
それでも成果をひけらかすことなく、陰で努力を重ねる姿勢は格好良く、私にとってヒーローそのものでした。
そんな祖父ですが昨年の1月、突然倒れて入院したと連絡を受けました。
持病があり80歳を超えてからは度々入退院を繰り返してはいましたが、今まですぐに退院していました。
(きっといつもみたいにすぐに元気になってくれる)
そう思いつつも、祖父も92歳。もしこのまま会えなくなってしまったらと思うと不安で居ても立ってもいられず、コロナもあり悩みましたがお見舞いに行くことにしました。
病床の祖父は酸素マスクをつけ、静かに寝ているようでした。
「おじいちゃん、さよだよ」
私が声かけると祖父は目を覚ましました。息をするのも苦しそうです。
「おじいちゃん、私、お腹に赤ちゃんがいるの、ひ孫だよ。8月に生まれるからその時は抱っこしてね!」
そう話しかけると、
祖父は私の手をギュッと力強く握って、かすれる声で一言
「頑張れ」
と言ってくれました。
主治医によると、祖父は食事も取れないほど衰弱していたものの、この数日間は完食しているので回復する見込みがあります、とのこと。
快方に向かっているようで安堵しました。
しかしお見舞いから約1週間後、祖父の容態が急変。そのまま帰らぬ人となりました。
後で聞いた話ですが、祖父は医者からもう長くはないと言われていたのです。
しかし、私がお見舞いに来ることを知ってからの数日間は食事も取るようになったそうです。さらに起きて会話ができたのも珍しいことだったようで、両親には私がお見舞いに来るのを待っていたのではないかと言われました。
私のために最後の力を振り絞り、勇気づけてくれた祖父。
その話を聞き、涙があふれると同時に感謝の気持ちが心の内を満たしました。
それから半年後、初めてのお産を経験。コロナの影響で家族の立ち合いもなく、12時間にわたる陣痛に耐え続けました。マスクの着用で息苦しく、後半は痛みで記憶が飛ぶほどです。
何度も逃げ出したいと思いましたが、祖父の「頑張れ」という言葉に支えられ、無事に乗り切ることができました。
産まれたのは3,700グラムを超える元気な女の子。生後10か月となった今も健康に育ってくれています。
天国で見守ってくれている祖父に恥じないよう、祖父が示してくれた真っすぐな生き方を娘にも伝えていきたいと思います。
日本財託 人事総務部 柏野 紗世(かしわの さよ)
◆ スタッフプロフィール ◆
石川県金沢市出身。
人事総務部に所属し、主に給与計算や社会保険の手続きなど社員の労務管理を行っています。
最近、娘が「バイバイ」とあいさつができるようになりました。保育園の帰りには保育士さんや他の保護者に手を振り、その姿はさながらアイドル。今後の成長が楽しみです。