音楽が紡いだ縁
2021/12/23
バンドマン時代のA・Rさん
私は昔から音楽が好きで、将来の夢は歌手になることでした。
しかし、私の実家のまわりは山と田畑ばかりで、
音楽に触れる環境が身近にありません。
歌手になりたいとは思いながらも具体的にどうすべきか分からず、
ぼんやりとした夢のまま時が過ぎていきました。
転機となったのは高校入学時。
陸上部に入部して早々、3年生の先輩が話しかけてきてくれたことです。
先輩もかなりの音楽好きで、偶然にも好みのアーティストが一致し意気投合。
その日からは部活動の後、学校に居残ってはひたすら音楽について
語り合うようになりました。
聞くと先輩はどうやら高校を卒業後、ギターの専門学校へ進学するというのです。
「そういう手があるのか」と衝撃を受けたことを覚えています。
自分も先輩と同じように音楽の道に進もう。
夢が具体的な目標になった瞬間でした。
そうなると、まずは音楽を体系的に学ぶ必要があります。
頭に浮かんだのは臨時で学校に赴任していた音楽の先生。
声楽科出身で、プロの歌手として活躍されていた方でした。
この幸運を逃す手はないと思い、先生に音楽理論の勉強をしたいと頼み込みました。
先生も快諾してくださり、休み時間や放課後に音楽理論や作曲の方法を
教えてくれることになったのです。
そこからは多いときで週3回程度、先生に指導を受け、
家では先生から出された課題をこなしながら曲作りを学びました。
そうして高校を卒業後、裸一貫で上京。
ライブハウスでバンドメンバーを集め、本格的に音楽活動が始まりました。
ただ、夢を追う日々は決して楽ではありませんでした。
昼から夕方までバンドメンバーと練習。
その後、深夜までアルバイトをして、空いた時間に曲作り。
さらに、他のバンドとのライブの際にはどんどん新曲をリリースしなければなりません。
体力的にも精神的にもハードな毎日でしたが、音楽レーベルやコンテストにデモテープを送ったり、オーディションに参加したりして夢を叶えようと必死に努力しました。
しかし、どうしてもうまくいきません。
そうしている間にも、周りの同級生は進学・就職で人生のステップを
着実に上がっていきます。
自分はいつまで音楽をやれるのだろう。
ゴールのないマラソンを走り続けるような日々に何度も押しつぶされそうでした。
それでもいつもライブに来てくれるファンのため、
また歌手になるという夢のため、5年間必死でステージに立ち続けました。
最後はバンドメンバーのトラブルなどにより活動を諦めることになりましたが、
振り返ってみると、人生でこれほど物事に対して真剣に向き合ってきたことは
なかったように思います。
また、音楽の道に進んだからこそ、
先輩や音楽の先生をはじめ一生ものの出会いが数多くありました。
物事に真剣に向き合う愚直さとすばらしい人とのつながりを得たいま、
音楽が好きで良かったと、はっきりと言えます。
最近、夢を一緒に追いかけた先輩からまた曲を作らないかと誘われました。
これからも音楽が紡いだ縁を大切に、人として成長していきたいと思います。
日本財託管理サービス 家賃管理部 A・R
◆ スタッフプロフィール ◆
福島県南会津町出身の28歳。
家賃管理部に所属し、主にオーナー様への家賃の送金や各種お問い合わせの一時対応などを行っております。
2022年の目標は先輩とともに作った曲をYouTubeで公開することです。