76年に1度の天文ショーを求めて
2020/11/19
東京マラソンを完走した松井さん(左) / 松井さんが撮影した当時のハレー彗星(右)
小学生のころから星空を眺めるのが好きで、
祖父に買ってもらった天体望遠鏡で月のクレーターや土星の輪、
木星の衛星などを観ては感動していました。
大学に入学すると、天文好きの仲間を集めて創ったのが、『星を観る会』というサークル。
天文台で観測活動をするなかで知り合った、8つの大学の天文サークルが定期的に集まり、
大学天文連盟、通称『大天連』として一緒に活動し、交流を深めていきました。
そのなかでも忘れられないのは、1986年に世界中で話題になったある天文イベントです。
それは、およそ76年に1度、太陽や地球に接近する『ハレー彗星』。
一生に一度の機会と、どうしても観測したいという衝動を抑えきれず、大学3年の春休みを利用して、
ハレー彗星が観測できる南半球へ飛ぶことにしたのです。
今のようにインターネットで簡単に探せないなか、どうにかこうにか見つけた格安の観測ツアーでも、
大学生の私には簡単には出せない金額です。
バイトに明け暮れ、なんとか旅費をねん出し、天体望遠鏡もローンで購入し、
ツアーに申し込むことができました。
4泊5日のそのツアーの目的地は、赤道直下のミクロネシア。
太平洋を周回する飛行機に乗り、日本からサイパン、グアム、ミクロネシアのトラック島と乗り継ぎ、
滞在地となるポナペ島にたどり着きます。
8時間ほどで到着したポナペの空港は、周辺には何もなく、
滑走路の横に掘っ立て小屋がひとつ建っている簡素な空港。
初めての飛行機にドキドキしながら降り立つも、待てど暮らせど私の荷物が降ろされてきません。
スタッフに確認すると、なんと私の荷物は間違ってサイパンで降ろされてしまったとのこと!
『次の便は3日後だから、それまで待て』と言われてしまったのです。
ただ、不幸中の幸いで、天体望遠鏡などの観測機器は機内に持ち込んでいました。
着替えなどは現地で調達し、ホテルや観測地のある島へボートを使って向かいました。
本格的な観測は翌日からでしたが、徐々に暗くなる様子に期待が膨らみ、
夜空だけでもと思ってふと見上げていると、東の空から"雲"が広がってきました。
「明日は晴れるといいなあ」と何気なく考えていると、その"雲"に違和感を覚えました。
よくよく見てみると、それは雲ではなく、満天の星空に浮かぶ『天の川』だったのです。
日本でも、街中ではなく、明かりがまったくない山の中で夜空を見上げると、
きれいに星々が見えることはありますが、その様子とは比較になりません。
また南半球でしか見られない、南十字星や大マゼラン雲といった星座や星雲などを探しつつ、
長い光の尾を伸ばして浮かんでいるものが視界に入りました。
それこそ、私が追い求めてきた『ハレー彗星』だったのです。
ハレー彗星は、2~3ヵ月ほど肉眼で見続けられるため、ツアー中も晴れていればいつでも観測できました。
4泊する間、日中はサンゴ礁の海でシュノーケリングを楽しみ、
夜は深夜になるまで天体望遠鏡や双眼鏡でハレー彗星や南半球の星々を観測する日々。
日本では見ることができない星空に飽きることはなく、ただひたすら満天の星空を見上げ、
天体望遠鏡をのぞき込み過ごしました。
「このままずっと、ここにいたい」と思えるほど、一生の思い出となりました。
仕事を始めてからは、時間的にも体力的にも、
天体観測を目的の長期休暇はなかなか取れていませんが、日本でも楽しめる天体はたくさんあります。
直近だと、南の空にひときわ輝く火星が肉眼でも観れますし、
12月13日前後にはふたご座流星群も観ることができます。
冬に近づき、空気も澄んできましたので、晴れていればきっと観測できることでしょう。
ぜひ、ご家族やご友人たちと、この時期ならではの天体ショーを楽しんでみてはいかがでしょうか。
日本財託 経理部 松井 章浩(まついあきひろ)
◆ スタッフプロフィール ◆
愛知県豊橋市出身の57歳。
経理部にて、日本財託グループのお金と数字の取りまとめを行っています。
カレーはルーから作るほどの料理好きで、コロナ禍の週末は、家族に料理をふるまうことが楽しみのひとつでした。