私と母の7年間の日課
2019/11/14
有賀さんが所属するチームが表彰された際の集合写真
有賀さんは写真中央
大学進学と同時に、地元長野から上京してきました。
学生時代は、学校が終わるとバイトへ向かい、夜遅くに帰ってきてベッドに直行、そしてまた学校へ向かう毎日。
忙しさにかまけて、実家にもなかなか帰らず、私から連絡を取ることは、ほとんど無かったように思います。
心配になった母から連絡があっても、ついつい返事を後回しにしてしまい、気が付けば数日空いてしまうこともありました。
いま思えばずいぶん心配ばかりかけていたなと、申し訳ない気持ちになります。
大学卒業後も、そのまま東京に残り就職。
実家へ帰るのもお盆や正月など、まとまった時間が取れる時だけでした。
そんな中、7年前に、父が病で他界しました。
父の葬儀を終えて東京に戻って程なく、地元に住む弟から、母がそれ以来元気がない事を聞きました。
とはいえ、私も仕事があり、すぐには帰ることもできません。
『お母さん、大丈夫?』
せめて声だけでも聞こうと、できる限り毎日、母に電話をするようになりました。
朝の通勤時、自宅から最寄り駅に着くまでの間、時間にすればわずか2~3分程度ですが、毎日電話をかけています。
少し沈みがちな日もあれば、気持ちが軽そうな日もあります。
声のトーンで、その日の母の体調や気分の浮き沈みがだんだんとわかるようになってきました。
『今日は○○さんたちと、ここへ行くよ』
『こっちはだいぶ寒くなってきたよ』
毎日話していると母の状況もわかり、遠く離れていても安心することができました。
会話の内容は他愛もないものばかりですが、時には私自身も励ましてもらったり、元気付けられながら、今日も1日頑張ろうと、いつも気持ちを新たにして電車に乗り込んでいます。
なんとなく始めた朝の電話が、いつの間にか私と母の毎日の日課になり、もう7年になります。
思い返してみれば、お互い思ったことを面と向かって伝える事が得意ではない母と私でしたが、毎日話すようになってからは何でも話せるようになり、距離がぐっと縮まったように感じます。
あと、何回実家に帰れるのか。
母とあと何日会えるのか。
離れて暮らす親との時間についてよくこんな風に言われますが、歳を重ねるほど、その時間の少なさを感じて大切にしなければいけないと思うようになりました。
だからこそ、これからも大切な二人の日課を続けて、母の声を聞き、私の声も、そして想いも母に届けていきたいと思います。
日本財託管理サービス 管理受託部 有賀 由紀子(あるがゆきこ)
◆ スタッフプロフィール ◆
長野県伊那市出身。
管理受託部に所属し、お悩みを抱えているお客様の物件をお預かりし、賃貸経営のサポートに努めています。
夏から水泳を始めました。始めたころは週に1度以上は通っていたのですが、11月に入ってからは寒さから足が遠のいてしまっています。