親の偉大さ
2025/10/16
家族と記念写真を撮るK・Tさん
私の家族は、母と兄、弟、そして私の4人家族です。
私が6歳のとき、父は突然の事故で亡くなりました。
あの日を境に、私たちの生活は一変しました。
まだ幼かった私は、その意味を完全に理解していたわけではありませんが、
家の空気が重く、母の表情がどこか遠くを見つめていたことを
今でもはっきり覚えています。
母は私たち3兄弟を抱えながら、
東京での生活を必死に支えてくれました。
父が亡くなった直後には「新潟の実家に戻ろうか...」と
ふと口にした言葉を耳にしたこともありました。
7歳の兄と6歳の私、そして、生まれたばかりの弟の3人を前に、
1人で育てることに不安でいっぱいだったのだろうと思います。
母なりに何度も悩み、迷い、決断を繰り返していたのでしょう。
けれど最終的に、母は東京での生活を選びました。
私たち子どもの生活環境や学校、将来を考えての決断だったのだと思います。
それからの母は、仕事と家事と育児を1人でこなしてくれました。
朝早くから私たち兄弟の弁当を作り、
夜まで仕事をして帰ってきてから洗濯や料理をしてくれました。
3人ともサッカーをしていたので、ユニフォームの洗濯をしてくれたり、
休日には試合の応援に来てくれたりもしたのです。
弟が家から離れた高校に通うことが決まった時には
毎朝5時に起きてお弁当を用意してくれていました。
社会人になった今、振り返ると、
当時の母がどれだけの強さを持って私たちを育ててくれたのか、
本当の意味で理解できるようになりました。
兄弟全員が社会人になって、独り立ちをしたこともあり、
現在、母は新潟の実家に戻り、祖母と共に穏やかな時間を過ごしています。
今ようやく、自分のために生きられる時間が来たのだと思うと、
心から「ありがとう」と伝えたくなります。
『親って、すごい。』その言葉に尽きます。
子供のためにこんなにも強く、
優しくなれるものなのだと、母の姿から教えられました。
そして私も、いつか誰かを守るときには、
母のように強くなれるだろうかと、ふと考えることがあります。
社会に出て、仕事に追われる毎日を過ごす中で、
時には自分のことで精一杯になってしまうこともあります。
でも、支えてくれた人たちがいるから、今の私がある。
そのことを忘れずに、これからも仕事に真摯に向き合い、
大切な人たちを大事にしていきたいと思っています。
今は、離れて暮らしているのでなかなか感謝を伝えられていないですが、
母が東京に遊びに来た際には食事に行ったり、
長期休暇ごとに帰省したりと、母との時間を作るようにしています。
今後も親孝行していきたいです。
日本財託管理サービス 管理部 K・T
◆ スタッフプロフィール ◆
東京都江東区出身の31歳。
管理部に所属し、入居中の修繕対応や退去後の内装工事を行っています。
『ヒツジのいらない枕』を購入しました。
良く寝られます。そのおかげで目の下のクマもなくなりました。