人の幸せを心から喜べる、両親の偉大さ
2025/10/09
友人とカッパドキアの気球ツアーを楽しむT・Mさん
私の両親は、何よりもまず「人のため」を考える人でした。
誰かの喜びを、自分の喜びのように受け止められる。
そんな背中に憧れを持つようになったのは、高校受験がきっかけです。
私は地元京都で三人兄妹の末っ子として生まれた、
外で走り回るのが好きなお転婆な子ども。
塾に通わせてもらっていたものの、
決して勉強が得意なタイプではありませんでした。
そんな私が中学生の頃、兄の通う学校の文化祭を見に行ったことをきっかけに
「この学校に通いたい!」と考えるようになったのです。
その学校は地元でも有名な進学校。
合格するためには偏差値を20以上も上げなければならず、
周囲からも「難しいんじゃないか」と言われていました。
確かに当時の成績だと模試の判定は良くてもC判定。
志望校を合格ラインに落とすのが現実的だということも分かります。
そんな中、両親は最初から最後まで私を信じて応援し続けてくれたのです。
毎日遅い時間に終わる塾の送り迎えも嫌な顔せず続けてくれ、
寒い冬の日は私のために温かいココアとお菓子を用意してくれる。
模試の結果が振るわなかった時は「大丈夫、大丈夫」と、
両親は優しく背中を押してくれました。
塾の費用も決して安くはなかったはずですが、私に何も求めず支え続けてくれたのです。
そんな両親の気遣いがどれだけ心を癒してくれたでしょうか。
両親からの温かいサポートもあり、それに応えたい一心で勉強に励みました。
朝から晩までひたすら予習復習を反復し、
毎週の模試で実力を試す日々。
やがて成績を少しずつ上げることができたのです。
そして迎えた入試当日。
寒さと緊張で指がかじかむ中、
「応援してくれた両親のために、今までやってきたことをやるだけ」
そう自分に言い聞かせ会場に向かいます。
受験会場の指定された席に座り、
合格後に学生としてこの机で勉強している姿を思い浮かべながら、試験に取り組みました。
その後、無事に第一志望に合格。
手に汗を握りながら合格発表の会場で受験番号を見つけた時、
すぐに溢れてきたのは両親への感謝の気持ちです。
その場で両親に電話して、これまでのサポートを噛み締めながら感謝の気持ちを告げました。
すると両親は「あなたが頑張ったからだよ」と、
私の努力を心から褒めてくれたのです。
現在、私は故郷の京都を離れ、日本財託で働いています。
一人暮らしの経験や、先輩社員と話している時、ふと気づくことがありました。
それは、両親が共働きで忙しい中、家事もこなし、
三人の子どもを育てながら大学にまで通わせてくれた、ということです。
自分が社会に出た今、身に染みて感じているのは両親の偉大さ。
いつも、人のために何ができるかを考え、誰かの幸せを心から喜べる。
そんな両親の背中を見て育ったからこそ、
私もこれからの人生、人の心に寄り添い、
誰かの幸せのために自分ができることを精一杯頑張れる人になりたいと思います。
日本財託管理サービス 管理受託部 T・M
◆ スタッフプロフィール ◆
京都府京都市伏見区出身。
管理受託部に所属し、物件オーナー様に管理委託や収益改善のご提案を行っています。
最近、トルコのカッパドキアとイスタンブールに旅行にいきました。
空いっぱいに気球が浮かんでいる景色が目に焼き付いて離れません。