あのとき言えなかった「ありがとう」を、いま。
2026/05/28

趣味のお酒を飲んで楽しむE・Kさん
共働きだった両親に代わり、幼い私のそばにいつもいてくれたのは祖母でした。
小学校に入るまでの私は、
両親よりも祖母に面倒を見てもらう時間が多かったように思います。
両親が共働きでも、何不自由なく幼少期を過ごせたのは、
いつも祖母がそばにいてくれたからでした。
私の両親は高齢での出産だったため、
祖母にとっては待望の孫として、愛情をもって成長を見守ってくれました。
小学生の頃、すでに80代だった祖母。
それでも、私が家でひとり留守番をしていると聞けば、
エレベーターもない団地の5階まで、大きなビニール袋を抱えてやってきてくれました。
手すりを伝いながら、一段ずつゆっくり階段を上りきると、
決してつらい顔は見せず、いつもこう笑って声をかけてくれました。
「今日も留守番かい。お菓子持ってきたよ」
ビニール袋には私の大好きなお菓子がたくさん入っていました。
祖母の姿を見るたびに、幼いながらに「嬉しい」よりも先に
「ありがたい」という気持ちが胸に込み上げていました。
けれど当時の私は、自分に自信がなく、
思いを言葉にするのが苦手で「ありがとう、おばあちゃん」
たったその一言が、どうしても照れくさくて、
いつも胸の中に閉じ込めてしまったのです。
時が経って私が大きくなっても、祖母はいつも変わらず言葉を届けてくれました。
海外留学へ旅立つ日の朝。
教習所に通い始めた日の朝。
社会人として初めて出社する朝。
誰にでもあるようで、でも自分にとっては不安と期待が入り混じる特別な日。
そんな節目のたびに、祖母は決して忘れずに、私の背中をそっと押してくれました。
慣れない携帯のメッセージ機能を使って、
ときには、小さなポチ袋に添えた手書きの文字で。
「体を大切にね。がんばってね。おばあちゃんより」
その言葉に触れるたび、どこにいても「自分には味方がいる」と実感できたのです。
不安だった気持ちがスッと晴れて、
少し上を向けるような感覚がしたことを今でも鮮明に思い出します。
大学進学を機に上京してからは、祖母と直接会う機会はめっきり減りました。
長期休みで地元へ帰るたびに、祖母の背丈が小さくなっているように感じます。
その姿を見るたびに、ふと考えてしまうのです。
あと何回、直接「ありがとう」と伝えられるのだろう。
東京で人生の大半を過ごすと決めた以上、
直接顔を見て言葉を交わせる時間は、決して多くありません。
そんな祖母は、今年の7月に92歳の誕生日を迎えます。
そのときに、これまで言えなかった想いを、
しっかりと目を見て伝えようと思っています。
「いつもありがとう、体を大切にね」と。
かつては苦手だった感情表現も、祖母がくれた言葉のおかげで変わりました。
受け取ってきた温かさを、今度は誰かに手渡せる人でありたい。
祖母とのかかわりを通じて、気持ちを直接伝えることの尊さを知っている私だからこそ、
誰かの背中をそっと押せる人になりたいと思います。
日本財託管理サービス 賃貸営業部 E・K
◆ スタッフプロフィール ◆
長野県塩尻市出身。
賃貸営業部コンシェルジュ1課に所属し、管理物件の募集活動を行っております。
趣味及び特技はバスケをすることですが、アメリカのバスケットボールリーグ観戦も好きです。
将来の夢は自分の推しチームの試合を最前列で現地観戦することです。






