人生のスコアボードには終わりがない
2025/06/26
野球の練習をするU・Kさん
「甲子園に行ってみたい」
小学3年生のとき、地元沖縄の興南高校が甲子園で活躍する姿を目の当たりにし、
そこから高校3年生までの10年間、私の生活は野球一色でした。
「甲子園出場」の夢を叶えるため、憧れの興南高校に入学。
全国から実力者が集まる環境のなかで、一心不乱に練習に打ち込みました。
しかし、現実は甘くはありません。
130人を超える部員のなかで、1・2年生の間は練習試合にすら出場できず、
いくつもの挫折を経験し、何度も野球を辞めようと思いました。
そんなときに支えてくれたのは、「甲子園に行きたい」という揺るぎない思いでした。
(諦めるものか)
キャッチャーとして4番手からスタートした私。
誰よりも多くの球を受け、誰よりも真剣に練習に取り組みました。
少しでも多くのストライクを取るために、キャッチングの精度を高め、
1つでもミスを減らすために、身体を張り、後逸を防ぎ、全力を尽くしました。
練習の一投一打に心を込め、いつも高い意識を持ってプレーし続けた結果、
監督の目に留まり、2年生の秋からベンチ入りを果たすことができました。
そして迎えた夏の県大会、決勝戦。
私たちが圧倒的に有利と言われた試合でしたが、
甲子園をかけたプレッシャーに、試合は予想外に接戦に。
私は代打として出場し、何とかチャンスを生かすことができましたが、
最後は7-8という僅差で敗戦。
夢は、目前で消え去りました。
そのときの悔しさは、言葉にできません。
「10年間、野球に捧げた努力が報われなかった」
1時間以上も仲間と共に涙を流しました。
学校に戻り、監督の最後のミーティングで語られた言葉が、今でも胸に刻まれています。
「野球は9回で終わるけれど、人生のスコアボードには終わりがない」
「甲子園に出られなくてもいい。立派な社会人になって、幸せをつかむことが大切だ」
あのときは、言葉の意味がすぐには分かりませんでした。
全てを賭けて甲子園を目指していたからこそ、その思いが強すぎて、
すぐには受け入れられなかったのです。
しかし、最近になって、監督の言いたかったことが少しずつ分かるようになってきました。
当時は、「甲子園」が私の全てでしたが、
それから、大学受験、就職、そして仕事。次々と新しい挑戦が待っていました。
いま気づくことは、全てが繋がっているということです。
野球で培った精神力や忍耐力は、今も仕事や生活に活かされています。
時には失敗して落ち込み、何もかもがうまくいかないように感じることもあります。
しかし、そのときに思い出すのは、あの監督の言葉です。
人生のスコアボードには終わりがない――
人生は長く続きます。そして、過去が現在を、現在が未来を形作ります。
だからこそ、今を必死に、そして失敗を糧にして、
未来のスコアボードをより良くできるよう、前を向いて歩んでいきます。
日本財託 流通事業部 U・K
◆ スタッフプロフィール ◆
沖縄県那覇市出身の23歳。
流通事業部に所属し、オーナー様が所有する不動産の売買をサポートしています。
今年は、愛する西武ライオンズが好調です。
毎日が優勝パレード前夜のようで、充実した野球ライフを送れています。