「進むべき道を示してくれた母の存在」
2020/07/02
昨年8月、横浜・みなとみらいの式場で結婚式を挙げました。
会場では親戚一同のほか、学生時代の友人、会社の上司・同僚など約120人が、
それぞれの形で人生の門出を祝福してくれました。
式は進み、終盤のクライマックス。
ここで、母へのサプライズとして歌を贈りました。
選んだのはロックバンド「かりゆし58」の
母親への愛を歌った代表曲「アンマー」。
弟と一緒にマイクを握り、今までの感謝を込めて歌いあげました。
それを聞いた母は
「めちゃくちゃびっくりしたわ」と言って、
いつもの明るい笑顔を浮かべていましたが、
その目には涙が光っていました。
そんな母の姿を見て、ようやくひとつ親孝行ができて良かったと思いました。
振り返ってみると、母は私の性格を理解し、
いつも進むべき道を示してくれていたように思います。
特に印象深い出来事が2つあります。
私は小学2年生から柔道を始め、
その実績が評価され、高校はスポーツ推薦、大学も指定校推薦で入学しました。
柔道を始めたきっかけは母でした。
私は幼少期からいわゆる「やんちゃ坊主」で、友人にいたずらばかりしていました。
そんな姿を見かねてか、母は自宅近くの道場に私を連れて行ったのです。
いざ柔道を始めてみると、身ひとつで勝負に挑むダイナミックさが面白く、
体力を持て余していた私は競技にのめり込んでいきました。
そのおかげ、やんちゃ振りもおさまっていったのです。
また、新卒時の就職活動でも母が背中を押してくれました。
柔道で黒帯を取っていたこともあり、当初は消防士か警察官を目指していましたが、
どちらも不合格。真剣だっただけに、ショックは小さくありませんでした。
大学で教員免許は取得していましたが、
教員の道に進むなら1年の浪人生活が待っています。
かといって特別やりたい仕事もありません。
どっちつかずな気持ちで、次の一歩を踏み出せないでいました。
そんな私の様子に母は
「営業職が向いているんじゃない」
とアドバイスをくれました。
思い返してみると、私は昔から人と話すのが好きで、友人も多い方でした。
その言葉は私の心にストンと落ち、そこからは気持ちを切り替えて就職活動に専念。
今は営業担当として充実した毎日を過ごしています。
人生の岐路に立つたびに、そっと背中を押してくれる母は
私の一番の理解者でした。
今年5月には実家から30分ほどの距離に自宅を購入し、
母のもとへ顔を出す機会も増えました。
最近の母の口癖は「早く孫が見たい」。
親となったときには、私の母のように、
いつも子どもの一番の理解者でありたいと思います。
日本財託 資産コンサルティング部 大草 友範(おおくさとものり)
◆ スタッフプロフィール ◆
神奈川県逗子市出身の26歳。
資産コンサルティング部に所属し、お客様の資産形成・資産運用のご提案で投資用の中古ワンルームマンションの販売に携わっています。
最近ゴルフを始め、近所の打ちっぱなしによく行っています。
新型コロナウイルスが収束した後はゴルフコンペを開催したいと思っています。