両親が教えてくれた「愛情のかたち」
2025/12/11

ウエディングドレス姿で記念撮影をするK・Aさん
私の両親は、昔から仲の良い夫婦でした。
休日になると、特別な予定がなくても、
ふらりと二人で出かけていきます。
行き先は、近所のスーパーから遠出をしたドライブまで様々。
その仲睦まじい姿を見て「夫婦とはこうあるものだ」と、
幼いながらに感じていました。
そんな両親は、私の人生をいつも見守り、支えてくれる存在でした。
父は単身赴任で一緒に暮らせない時期が長く続きましたが、
必要なときには必ず寄り添ってくれる人でした。
進路に迷った高校時代、
父は新幹線に乗ってオープンキャンパスまで付き添ってくれました。
就職活動で悩んだときも、
社会人の先輩として夜遅くまで相談に乗ってくれたことを覚えています。
母は、どんな私でも受け入れてくれる人でした。
中学から高校にかけて、私は反抗期の真っ只中。
中学3年生の修学旅行帰り、迎えに来てくれた母に「来なくてよかったのに」と
心ない言葉を投げてしまったことがあります。
それでも母は、毎日塾の送迎をしてくれたり、
体調を気遣って食事を工夫してくれたりと、無償の愛を注ぎ続けてくれました。
大学生になり一人暮らしを始めると、
当たり前だった家族の存在がどれほど大きかったかを実感しました。
慣れない家事に追われ、
静まり返った部屋でひとり過ごす夜、
両親を思い出すたび胸が締めつけられます。
反抗的な態度をとってしまったことへの後悔と、
感謝を伝えたい気持ちが募っていきましたが、
日常の中で言葉にするのは、照れくささがありました。
だからこそ、いつか自分が結婚式を挙げるときは、
そこで想いを伝えよう。そう心に決めていたのです。
そして迎えた結婚式の日。
両親の顔を思い浮かべながら、
当日の朝まで文章を書き直しました。
スピーチの最中は、胸の奥が熱くなりました。
言葉を紡ぐたびに、ドアをばたんと乱暴に閉めた反抗期の夜や、
母が塾まで迎えに来てくれた記憶が次々とよみがえります。
泣かないようにしようと思っていたのに、声が震えました。
話し終えたあと、父は照れ隠しのように笑い、
母は目に涙をいっぱいためて受け止めています。
その表情を見た瞬間、ようやく気持ちが届いたと感じました。
今でも帰省するたび、二人は変わらず私を気にかけてくれます。
その優しさに触れるたび、 ふたりのような夫婦になりたいと思いました。
両親が教えてくれた、愛情のかたち。
それを継いで生きていくことが、私にできる最大の恩返しだと信じています。
日本財託管理サービス 管理受託部 K・A
◆ スタッフプロフィール ◆
兵庫県神戸市出身。
管理受託部に所属し、ご入居者様やオーナー様に対して貸主変更業務を行っています。
最近は運動不足を懸念し、エスカレーター・エレベーターはできるだけ利用せず、
階段を利用して昇り降りしています。






